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旅と暮らしの間に漂う、あんな話・こんな話(その6)「お泊り」という非日常
福島市在住9年の観光コンシェルジュx取材ライターがお届けするエッセイ
先日、実家に帰って昔のアルバムを見ていたら、懐かしい家族旅行の写真がたくさん出てきました。私と弟が小学生の頃、親はまだ30代と若かったので、休みのたびに子連れで出かけるのもまったく億劫ではなかったのでしょう。遊園地だの潮干狩りだの、おそらく日帰りだっただろう行楽の様子に交じって、明らかに自宅ではない場所で親が浴衣姿でくつろいでいる写真も結構あります。
子ども心に「お泊りでお出かけ」というのは非日常の最たるものでした。記憶にある「お泊り」はどれも、広い畳敷きの部屋の真ん中に大きな黒い座卓、広縁に低い椅子が2つ。到着してお茶とお菓子で一服したら、家にいるときとは違って、まだ明るいうちからお風呂に入りに行くのです。

家の浴室の何倍も広い大浴場に、テンションが上がって大はしゃぎ。これまた家と違って脱衣場が暖かいので、出てもすぐに湯冷めしません。部屋に戻ると見たこともないごちそうが待っています。父は熱燗をちびちびやりながらごくゆっくりと箸をつけていくので、仲居さんが次の料理を運んできても前のお皿を下げられず、父の前だけ器がいっぱいになってしまいます。その向かいで母はここぞとばかりに上げ膳据え膳の贅沢を堪能し、子どもの私たちはといえば、早々にお腹がいっぱいになって畳でゴロゴロし始めるのでした。
お楽しみはその後です。食事が済んで食器が下げられた後、「失礼します」と言って、たいてい男の人が2人ほど入ってきて、お布団を敷いてくれるのです。4つ並んだふかふかのお布団! 家では親と別室の二段ベッドに寝ていた私たち姉弟にとって、これほどの非日常があるでしょうか! 両親も膨れたお腹をかかえて布団に倒れ込み、4人してゴロゴロ、きゃっきゃっと笑い合う。こんな思い出を作ってくれた親には感謝しかありません。

近年、食事は食事処で提供するお宿、また、たとえ和室でも寝具はお布団ではなくベッドというお宿が多いようです。これは、スタッフにやたらと部屋に入ってきてほしくないというプライバシー重視の人、あるいは床で寝起きは大変という高齢客が増えたことと関係あるようにも思います。が、なんといっても旅館側にとって省力化につながる点は大きいのではないでしょうか。
というのも、私は某温泉旅館にて、お部屋食の提供とお布団敷きを経験したことがあるのです。あれは、まだ世の中に新型コロナウィルスが出現する前のこと。フリーランスになって3年目だった私は、クライアントがみな休みに入るゴールデンウィーク中、別の仕事で収入を得ようと、いわゆるリゾートバイトというものに初挑戦したのでした。
私の住む福島市内にも温泉宿はたくさんあり、そのうちのいくつかでも連休限定のバイト募集はありましたが、自分が日ごろ客として日帰り利用する宿ではさすがにちょっと働きづらい。それに、せっかくなら自分自身の旅行も兼ねて少し遠くに行きたかったので、岩手県内の有名温泉の某老舗旅館に、泊まり込みでお世話になることにしたのです。

そのお宿には、一般の宿泊棟のほか湯治向けの棟が残っており、私はそちらに配属となりました。本来の湯治は自炊が原則ですが、いまどきはそんな湯治客はほとんどいません。したがって、湯治棟にお泊りのお客様にも朝夕の食事を提供するのですが、湯治棟には厨房も食事処もないため、宿泊棟の厨房から各部屋へ運ばなければなりません。食器を盛りつけたお膳をいくつも高く積み上げた台車を押して、よろめきながら長い廊下を渡り、3階建ての湯治棟についたら一部屋ずつ声をかけて配膳していくという作業は、たいへんな時間と体力を要するものでした。
湯治棟ではお布団の上げ下げはお客様自身でお願いするスタイルでしたが、宿泊棟のほうはそうはいきません。連休ピークで宿泊棟でも人手が足りなくなると、合間にお布団敷きのお手伝いにも行きました。ベテランスタッフと二人一組となり、食事処で食事中のお客様の部屋に入って、てきぱきとお布団を敷いていきます。お布団の重量とともに立ったり座ったり、こちらもかなり足腰が鍛えられる作業でした。
いずれも初めてのことばかりで、最初の2~3日は身体が悲鳴を上げ、念のためと思って持って行ったコルセットが大活躍。それでも倒れずに済んだのは、午後の中休み時間中や、夜9時に厨房の食器片づけの仕事が終わった後、毎日たっぷり浸かることのできた温泉のおかげだと思います。なにより、日本が誇る「おもてなし」は、こういう現場スタッフの懸命な働きに支えられているということ。それをはっきり認識できたという意味でも、貴重な黄金週間でした。

東京に住んでいた頃から温泉好きだった私にとって、車で30分~1時間圏内にいくつも温泉がある福島県は天国です。二本松市に住んでいたときは岳温泉、福島市に越してからは飯坂、土湯、高湯のローテーションで、平均月に2回は行くでしょうか。共同浴場はもちろん、日帰り利用ができる温泉宿は、数が多い飯坂を除いて全制覇したといってもいいかもしれません。
ただ、中には日帰り利用不可のお宿もあって、そういうときは遠方から友人が温泉に泊まりたいといって来福してくれるときがチャンスです。先日、そうやって久しぶりに「お泊りでお出かけ」した飯坂温泉のお宿は、なんと懐かしいことにお部屋食でした。友人と杯を交わしながら次々に運ばれてくるお料理を堪能。食後は、「失礼します」と入ってきた男性スタッフがお布団を敷いてくれます。
妙齢の、もといミドルエイジの女性2人がお布団ゴロゴロするのはさすがに控えましたが、なんとも心弾む「非日常」の感覚は昔と同じ。同時に、こんな楽しみを演出してくれている宿の裏方スタッフのみなさんに、心から敬意と感謝を表せるようになった自分は、この歳になっても少しだけ“成長”したかな、なんて思うのでした。
(※写真はすべてイメージ)

