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旅と暮らしの間に漂う、あんな話・こんな話(その1)まずは自己紹介

福島市在住9年の観光コンシェルジュ × 取材ライターがお届けするエッセイ

はじめまして。福島市観光案内所で「多言語市民コンシェルジュ」を務めている中川雅美と申します。

コンシェルジュなんてなんとも高尚な響きのある肩書ですが、簡単に言うとパートのおばさんです。私の場合は週1~2回の勤務で、6年目ながらまだまだ勉強中。他の先輩コンシェルジュやスタッフのみなさんに交じって、日々案内所を訪れる方々からの福島市の観光に関するいろんなご相談にお応えしています。というか、お応えできるようがんばっています!

そんな私に、ある日、当サイト「福島市観光ノート」の編集長から、「シリーズでエッセイを書きませんか」とのお声がかかりました。

ええと、それはお客様にバスの乗り場を間違えて伝えてしまったとか、休館中の施設を案内してしまったとかの失敗談を披露せよと?

「違います(当然です)。もともと地元出身でない中川さんが、こちらに来てから経験したいろいろなエピソードを通じて、間接的に福島市の魅力が伝わるような企画にできればと」

もちろん二つ返事でお引き受けしました。というのも、私の本業はライター。書くことが生業の個人事業主なのです。この福島市観光ノートは年間閲覧回数400万を誇るウェブマガジン。そんな媒体に、9年前、好きで移住した福島市のあれこれを自分の言葉で書けるなど、なんと光栄なことでしょう。

1年間のお試し移住のはずがいつの間に……

ということで始まった連載の第1回。まずは簡単な自己紹介にお付き合いください。

そう、私が福島市に家を買って引っ越したのは9年前の春でした。その前はお隣り二本松市の賃貸アパートに2年住んでいましたから、通算「在福」歴はかれこれ11年。もうそんなになるかと、自分で書いて驚いています。だって、最初に東京から福島県に来たときは、1年間の期間限定「プチ移住体験」のつもりでしたから。

私の生まれは神奈川県川崎市で、実家を出てからは仕事も住まいも東京都内でした。勤め先は外資系企業を中心に25年間で5社ほど経験。基本的にはずっと言葉や文章、そして広報に関する仕事に携わってきました。

そうこうするうち、天命を知るはずの節目の年齢が近づいてきて、ふと思ったわけです。天命を知る以前に、私は川崎と東京以外の日本を全然知らないじゃないかと。現役のうちに一度は地方で働き、地方で暮らしてみたい――。それで、東京からそう遠くない「地方」で仕事を探した結果、たまたまご縁をいただいたのが福島県でした。

そのご縁とは、当時、原発事故の影響でまだ全町避難中だった浜通り地方の自治体役場のお仕事です。2014年1月、広報のお手伝いをする応援職員として入職。勤務地は、役場が避難先の二本松市内に構えた仮事務所で、私はその近くにアパートを借りました。

当時の仕事場、二本松市内の工業団地に建てられた役場のプレハブ事務所

職場も生活環境もいっぺんに変わって、すべてが新鮮でした。やたらハンコ押す書類が多いとか、水道料金は銀行窓口に払いに行かなきゃいけないとか、デリバリーピザもデリバリー寿司もないとか(いずれも当時)、カルチャーショックもたくさんありましたが、その大変さよりも、今まで自分が見ていた世界がいかに狭かったかを発見する楽しさが勝る毎日でした。

応援職員の任期は1年間。これをお互いの希望で半年、あと半年と延長を重ねるうち、私はあるとき明確に意識したのです。「あ、自分はもう東京に帰りたくないんだ」と。それは理屈ではなく感覚的なものでした。高村智恵子さんの有名な言葉を借りれば、このまま「ほんとの空」の下に留まっていたいと身体中の細胞が叫んでいた、とでも言いましょうか。

それで、帰らないならこちらでちゃんと住まいを構えようと思い、2016年春、福島駅の近くにマンションを購入。二本松市から引っ越して現在に至ります。実家の老親が心配なので月に一度は帰省していますが、新幹線で簡単に日帰りできる距離なのでストレスはありません。

仕事のほうは、結局3年間ほど役場にお世話になったあと、フリーランスのライター・翻訳者として独立。以来、県内外のお客様の文章周り・広報周りのお手伝いをしているほか、福島市観光コンベンション協会にもご縁をいただき、案内所のコンシェルジュを務めているというわけです。

二本松市のアパート近くの風景(安達太良山の上の「ほんとの空」)

この街の「ちょうどよさ」がちょうどいい

さて、私が住まいを買うときに福島市を選んだ理由についても、簡単に触れておきますね。それは、たまたま私にとってちょうどいい物件が、ちょうどいいタイミングで見つかったから。正直言って、これがいちばんの理由です。でも振り返ってみると、この街そのものの「ちょうどよさ」に惹かれた面もけっして小さくありませんでした。

県庁所在地でありながら、全体にこぢんまりしたサイズ感。人が多すぎず少なすぎない。都会すぎず田舎すぎない。たしかに現在の福島駅前はデパートやスーパーが次々閉店して少々寂しい感じは否めませんが、駅から少し離れれば大型商業施設はいくつもあります。市内には県立のものを含め文化施設も医療施設もひととおり揃っていて、生活に不便はない一方、ちょっと郊外に出れば広々した公園の緑に心洗われ、田んぼや果樹園ののどかな景色に癒されます。

もっとも、そういう「トカイナカ的ちょうどよさ」は、人口20~30万程度の地方都市ならどこも似たようなものでしょう。でも、それに加えて私の独断による福島市の「推しポイントNo.1」があります。それは、なんといっても「山が近い」こと。関東平野の端っこ、京浜工業地帯の真ん中で生まれ育った私にとって、高い山が見える生活環境には憧れに近いものがあります。だから、市内のどこからも2,000m級の雄大な吾妻連峰が間近に望めるのは大きなポイントでした。

筆者が9年間、毎日見ていて飽きない福島市のマウンテンビュー

そして、山が近いということはすなわち温泉も近い。これも温泉好きにはたまりません。市内に3か所も有名な温泉地があって、ぜんぶ日帰り可能。なんならお隣りの宮城県・山形県の温泉にも簡単に行けちゃう。これこそ地方暮らしの贅沢を絵に描いたようなものです。

もちろん、実際に生活者となってみれば、いいことばかりでもありません。たとえば、盆地気候で時期によっては1日の寒暖差が20度近いとか、マジでやめてほしいです。冬は雪の降り方が中途半端で悩ましいし、JRのローカル線は1本乗り遅れると1時間待ち。ついでに上水道はモンドセレクション金賞受賞のおいしさを誇る反面、料金も全国平均以上で嬉しいやら悲しいやら。

それでも、実家から戻った夜、福島駅のプラットフォームに降り立ったときの空気の匂いに、あるいは仕事の合間、ふと顔をあげて目に映る吾妻山の上の夕空に、あるいは産直で買ったばかりの朝採れ旬野菜をそのままかじったときのみずみずしさに、ここに暮らしてよかったと思わせる何かがあるのです。

次回から、こんな私の福島暮らしのあれこれをエッセイとして綴っていきます。飾らず盛らず、ありのままをお伝えできたらと。どうぞお楽しみに。

中川雅美

ライター/福島市観光コンシェルジュ

中川雅美

神奈川県出身。東京都内で長年、翻訳・編集・広報の仕事に携わった後、2014年より福島県浪江町の広報業務を支援。2017年より福島市を拠点にフリーのライターとして活動、多数の取材記事を執筆。2019年からは福島市観光案内所の市民コンシェルジュも務める。著書に「五十路で単身地方移住してみた~九年間のふくしま暮らし日記」(東京図書出版)。

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