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旅と暮らしの間に漂う、あんな話・こんな話(その2)浄土平と捨てられないスマホ
福島市在住9年の観光コンシェルジュ × 取材ライターがお届けするエッセイ

その日はあいにく、朝から小雨模様でした。どんよりした灰色の雲が垂れ込め、気温も10月上旬にしては肌寒いくらい。この先の天気予報もパッとしません。今日から2泊3日、せっかく両親が訪ねて来てくれるというのに……。
福島駅に到着した二人は両方とも傘寿越え。何年ぶりかの旅行で緊張しているらしく、すでに少々疲れたような顔をしていました。
「ほんとならねえ、駅のホームからも吾妻連峰がきれいに見えるんだよ」
いくら私が力説したところで、見えないものは見えません。「ふうん」という表情の両親をいざない、とりあえず駅近くの私のマンションに寄ってもらって一休みです。
「ほんとならねえ、この窓からも吾妻山や安達太良山が見えるんだよ、毎日眺めても飽きないんだよ」
「へえ、そうかい。いいねえ、こちらは広々して」
私が東京から福島へ移って、その時点でもう4年半が経っていましたが、神奈川県川崎市に住む両親が私を訪ねて来たのは、これが初めてのことでした。二人ともその3年前に大病をし、特に母のほうは一時危篤状態から奇跡の生還。父も1年ほどリハビリに励み、なんとか日常生活が送れるところまで回復したのです。まさか、二人だけでこうして新幹線に乗って福島まで来られる日が来るなんて、感無量でした。
旅行の時期は真夏の暑さや晩秋の寒さを避けて、ちょうど山の紅葉が始まる10月上旬にしよう。母はお風呂が好きだから、極上の源泉かけ流し温泉に入れてやろう。ふだんは緑の少ない、せせこましい住宅街に暮らしているから、磐梯吾妻スカイラインをドライブして絶景を見せてやろう。そして、私がこの世でいちばん美しいと思う浄土平の草紅葉をぜひ見せてやろう。
そう考えて何か月も前から宿を予約し、新幹線の切符を取り、事前に帰省して一緒に川崎駅から東京駅を往復する練習までして、この日を迎えたのでしたが……。
「あのね、磐梯吾妻スカイラインっていう、山を走る観光道路があってね、すごく景色がきれいなの。で、その途中に浄土平っていう湿原があって、今の時期は紅葉しててそれはそれはきれいなんだよ。だから、そこに連れて行きたかったんだけど、こないだその道路が通行止めになっちゃったんだ」
そう、両親が来る少し前に吾妻山(一切経山)の噴火警戒レベルが引き上げられて、スカイラインは通行止めに(※1)。もちろん浄土平も立ち入り禁止になってしまっていたのです。どうしようもないとはいえ、とにかく悔しい。普段の行いが悪いのは親か自分か、どっちにしても私はかなり恨めしい顔をしていたはずです。
でも当の両親は、そこがどんな場所か知らないので、ただ「ふうん、そうかい、残念だね」といってお茶をすするだけ。
では、山には行かれなくても、せめて広々した公園に連れて行こうと思い、向かったのは四季の里。ちょうど小雨も上がってくれたので、芝生の上を散策し、秋の花が咲く花壇を眺め、「ああ、せいせいするね、気持ちいいね」といってにこやかに顔を見合わせる二人を期待しました。
「ここ、きれいでしょう。晴れてたらねえ、この森の上に高い山が見えてすごくいい絵なんだけどねえ」としつこい私。
でも、ここまで来るあいだに疲れてしまった彼らにとって園内は少々広すぎ、痩せた身体に初秋の風が寒すぎたようです。「ああ、そうなのかい」といって早々にベンチに腰掛けて動かなくなってしまいました。
しょうがない、では宿へ向かうか!
その日の宿は高湯温泉。標高800mの山間に佇む小さな老舗宿です。いかにも秘湯らしい白濁の硫黄泉を楽しんでもらおうと思って選びました。
さすがに床にお布団が難しいことはわかっていたので、ベッドのお部屋にしてもらって大正解。二人とも到着するなりベッドでひと眠りし、人心地ついたら食事の前にお待ちかねのお風呂です。
その宿は特に露天風呂がすばらしいので、ぜひ入ってもらおうと、私は足もとが少し不安な母を支え、内風呂のドアを開けて少しひんやりした空気の中へ出ました。アツアツの源泉がこんこんとかけ流される岩風呂に浸かり、仰げば色づき始めた木々が私たちを見下ろしています。
「ほらね、いいでしょう」
「ああ、いいねえ、天国だねえ」
でも、そう言いながら母はどことなく落ち着かない様子です。どうしたんだろう。
そのとき、湯船の縁の岩をつかんで離さない母の手を見て気づきました。実家の風呂なら、湯船に入るときにつかまる手すりだけでなく、浴槽の中にハンドルがついています。その浴槽内ハンドルが、ここには当然ありません。だから母は、すべって顔までお湯に沈んでしまいそうで不安だったのです。
てことは、父は一人で大丈夫だろうか——。昔は体格がよかった父も、そのころはもうだいぶ体重が落ち、足も弱っていました。後で聞いたら案の定、手すりがあるところにちょうど人が座っていて、しばらく入れなかったというのです。
そうなんだ。もう、自分が子どもの頃の家族旅行とは違うんだ。あの頃の両親とは違うんだ。
自分のお気に入りの露天風呂にこだわらず、内風呂つきのお部屋にすればよかった。館内を階段ではなくエレベーターで移動できる、もっと大規模なお宿にすればよかった。考えてみれば、寒い中無理に公園に連れて行かなくてもよかった。福島に来たら「ぜひここを見せたい」という自分のエゴを優先してしまった……。
半分泣きたいような気持ちでお食事処へ向かいます。
幸い、夕食は二人とも心底喜んでくれました。父は好きな熱燗をちびちび。普段は飲まない母も「今日は特別」といって2杯もお相伴して、途中でひっくり返ってしまったくらいです。
翌日の裏磐梯ドライブや五色沼散策もあいにくの空模様だったものの、なんとか二人とも体調を崩さず、無事3日間を終えることができました。帰りの新幹線に乗せるときは少し心配でしたが、夜、父から無事帰ったとメールがあって安心しました。
「楽しかった、ありがとう」
そのショートメールの残った古いスマホを、私はまだ捨てられません。
次回はちゃんとバリアフリーのお部屋がある温泉宿にしよう。来年の今ごろなら、きっと噴火警戒レベルも下がって、スカイラインを走れるだろう。次回こそ、浄土平リベンジだ!
でもリベンジはついに叶わないまま、父はその2年後に他界しました。
この世の浄土を一目見せてあげたかったなあ。
でも今ごろは本物の浄土にいるのだから、まあいいか。
私のほうは引き続き、あちらに行くまで福島の浄土でたびたび心を洗うことにして、その写真を歩行器の母に見せてやろうと思っています。
(写真はすべて秋の浄土平湿原にて)
(※1 当時。現在は磐梯吾妻スカイラインの交通規制は解除されています)